メッシ選手の受難\広東省深圳市の大土砂崩れ\河内長野市の少年暴行死事件判決\「紅白」の歌唱曲決定\人を見送った記憶


本日は雨模様

相変わらずのトラ美ちゃんの寝顔です

   151221_3667今夜のトラ美ちゃんVGA


最近は度々壁紙や柱などを引っ掻いて
傷をつけてくれるので
昨夜押さえ込んで爪を切りました
必死で抵抗していたけど
あれだけ鋭く尖っていれば
気持ち悪くもなるでしょう
外に出ている間にせめて爪とぎくらい
してくればいいのに
トイレもワザワザ家に入ってからするようで
手間を掛けさせて戴いております(^^;
外でトイレして苦情言われるのも嫌だから
まぁいっかぁ~~



昨日サッカー「クラブ・ワールドカップ」で
優勝を飾った「バルセロナ」チームが
成田空港で出国手続き途中
メッシ選手が敗れた「リバープレート」の
サポーターから唾を吐きかけられ
メッシ選手も殴りかかろうとし
一触即発な雰囲気になったそうな

「リバープレート」のサポータの評判は
残念ながら余りよろしくない
まぁ「リバープレート」に限らず
南米チームのサポーターは
概して荒っぽいようです
恐らく政治や経済の低迷で
貧富の差が大きい事も
影響しているのかも
道頓堀のコンビニで
万引きを見咎めた店員人を
外に連れ出して
殴る蹴るの暴行を加えた外国人達も
「リバープレート」のサポーターだと
言われているし
横浜でも3位決定戦の
「サンフレッチェ広島」vs「広州恒大」の
試合が始まる前から
約2万人とも言われている
「リバープレート」サポーターが
会場の出入り口を占拠していまい
大声で歌を歌ったり騒いだりしていたらしく
それが南米流なのかも知れないけど
熱くなるのも程々にしないとねぇ
優勝を逃した「リバープレート」の選手達に
危害が及ばないかと心配になりますよねぇ
┐( -"-)┌



改めてニュースで映像を見て驚いたのが
中国広東省深圳市の
工業団地で起きた土砂崩れで
倒壊した宿舎や事務所棟などの
無残な姿

話によるとその近くは
昔は採石場だったそうで
その大きく空いた穴に
残土を棄てる許可を
出していたらしけど
それがまたまた違法に
山積みされていたみたいで
以前から危険性が指摘されていたよう
なのに何の対策もとらず
挙句この土砂崩れって
これって「人災」なんじゃないの?
中国らしいと言えば
如何にも中国らしいけど



大阪府河内長野市で
「動くサンドバック」や「打ち出の小槌」と言い
長きに渡る暴行や恐喝の末
今年6月19歳の専門学校生を
死に至らしめた主犯格で
同級生の元専門学校生男子に対し
大阪地裁堺支部は求刑懲役12年のところ
実刑で懲役9年と言う判決を出したようです
被告は反省している風ではなかったと見られるも
控訴はしないつもりだと言っているとか

同じく暴行に加わっていた
元大学生に対する裁判員裁判は
来年1月に行われるらしい

世間ではニュースに取り沙汰されるのは
ほんの一時の間だけですが
遺族にとってはその後の期間は
怖ろしく長いものだろうと思う
こんな青少年犯罪が毎日のように
起きていて毎日のように
報道はされているけど
彼らの“その後”がどうなったのか
「少年法」の成り立ちの意義が
反映されているのか
僕らは知る事ができない

被告は実刑9年としても
実際にはもっと早くに出所して
箔がついたと言わんばかりに
肩で風斬って何食わぬ顔で
また同じような事件を
繰り返すのかも知れないけど
遺族は加害者への憎しみと
自らへの自責の念を抱えて
これからの長い長い時間を
生きていかなければいけない



さて今年の「NHK紅白歌合戦」ですが
出場歌手の曲目が決まったそうですね
これもどんな風に決定されるか
“密室”なのでサッパリ解らない

詳しくはウェブサイトをご覧戴くとして
福山雅治さん、X JAPAN、SMAP、嵐
V6、EXILE、AKB48の面々は
またまた「ヒットメドレー」になるようです
トリを務める松田聖子さんは「赤いスイートピー」
近藤真彦さんは「ギンギラギンにさりげなく」だって
そして今年ご意見番長ぶりで
何かとネットで叩かれていた和田アキ子さんは
「笑って許して」だってぇ~
本当に笑わせてくれる
「ゴールデンボンバー」に至っては
4年連続「女々しくて」ですよ~
確かに盛り上がってお祭り騒ぎには
打ってつけの歌には違いないですけどね
(⌒▽⌒)アハハ!
1曲でどこまで稼ぐネンって感じ
NHKに余程太いパイプを持っているのかも

多分「メドレー」が登場したのは
ジャニーズ事務所の
ゴリ押しからじゃなかったかと
思いますが
僕個人としては「紅白」が
ミニコンサート化されるは
ちょっと違うなぁって感じる
それは個々のコンサートで行えばいい事
やはり「紅白」と「歌謡祭」とは
違うってトコ見せないと
「紅白」の意味がないように思えますねぇ
これも制作側の視聴率狙いでしょうか
その年に本当にヒットした曲や歌手だけで選べば
そんな現象も無くなるんでしょうが
何せ紅白の舞台裏は 「伏魔殿」みたいだから
業界では触れるのはご法度なんでしょ



明日は父の「祥月命日」
お寺さんにお参りに来て貰う予定です

父と僕は死の間際まで喧嘩していて
余りに頭にくる事があって
僕は僕の「結婚式」にはアンタは呼ばないし
アンタの葬式にも僕は出ない!
と断言していた
危篤を知ったのも授業中で
職員室から先生が慌てて
教室に入ってきて僕に告げたけど
僕は病院に向かう気もなかったので
「それで?」って感じで
フツーに授業受けていた
先生やクラスの友達なんかに
押し出されるように仕方なく
病院に向かったけど
当然着いた時には顔に白い布が
被せられていた
僕はワンマンな父が嫌いだった
それは10代特有の未熟な理想と
潔癖さからくるものだったろうと思う

でも不思議と死んじゃったら
許せてしまうもんだなと思った
けど多分生きていれば多分まだ
角突き合わせていたかもね(´m`)クス

その父の葬儀・告別式が
12月24日のクリスマスイブに行われた
その日は朝から寒く
最後の出棺挨拶に外に出た時には
雪がハラハラ舞っていたのを思い出す
学校関係者は多かったけど
それでもこんなに沢山の人達に
寒い中集まって貰って
申し訳なく感じた半面
こんなにも多くの人に見送られて
アンタは幸せ者だと心の中で父に伝えた

さっき父の遺骨の
「埋葬許可証」がどこにいったか調べていたら
葬儀会社が葬儀の模様を撮った
アルバムが出てきた
開くとまだ学生服を着た僕が映っていた
一応実質的な「長男」である僕は
喪主を務めたけど本当に葬儀の
右も左も解っていなくて
その段取りや多くの決め事が
矢継ぎ早に僕に向かってくるし
最後の「会葬御礼」の挨拶も
しなければいけないしで
正直悲しんでいる間が
なかったのを憶えている
母を支えなくてはいけなかったしね

僕が初めて声を上げた泣いたのは
霊柩車に父が納められた柩が入れられ
助手席に乗りドアが閉められて
静かに走り出し
暫く経ってからでした

出棺前の会葬御礼に
親族代表として立っている
人達の写真を改めて眺めたら
父の兄弟を含め
生きているのは僕と
僕の下の姉だけだった
何だかそう長い時間が
過ぎたわけでもないのに
多くの人達を
見送ってきたんだなと思った
その代償に得たものが
僕にはあるのだろうか

母が入院中
僕は病室で付けて置いていた
母の病状を綴った日誌を読み返して
自分なりによく頑張ってたじゃん
ひとりでエライじゃんって
自分を褒めてあげました

生きていく事って
嬉しかった日、悲しかった日
色んな“数字”を
記憶していくって事
かも知れないと思う


---------------------22:05


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匿名さん へ

こんにちは
コメント有難うございます

人生「楽あれば苦あり」
「苦あれば楽あり」
多分まともに天寿を全うすれば
トータルでトントンで
あるように思えます
苦しくて途中で死んじゃったら
残りの「楽あり」が
やってこないのかもね

僕の友人はこの世は
嫌な事ばかりで
早く死にたいと
いつも泣き言を並べています
でも死なないんですけどね(´m`)クス
僕から見ればそんなに辛い事の連続でもなく
“ありふれた幸せ”くらいは
あるように思えるのですが
多分どんな辛苦の中にあっても
自分は幸せだなと
感謝できる人は「幸せ者」で
自分の周りにある小さな幸せを
見つける目や拾い上げる掌を持たない人は
不幸な人生と言えるのかも知れません
それこそ考え方次第で
不幸にも幸せにもなるのなら
やっぱ感謝して幸せに生きた方がいい

父が体調を崩してから
主に母が面倒を見ていたのですが
自分の体か自分の思い通りに動かない事に
苛立っていた父は母にあたりごとばかり
していましたねぇ
僕も学生の身でありながら
色んな病院を探して入院手続きしたり
医師と面談や交渉したり
当時の自分ができる事は
やったように思っています

僕は父が嫌いだった
年の離れた姉2人は目の中に入れても
痛くない程の可愛がりようだったようですが
僕は物心ついてから父に遊んで貰った記憶がありません
そればかりか自分に性格が似ていないと言っては
母を疑い責めていました
父に初めて意見した時などは
包丁持って追い掛け回されたんですよぉ~(^^;
勝手な時だけは自分は親だから
子供を生かすも殺すも親の自由だ
等と暴言を吐くんです
外面はいいけど家庭内での傍若無人な言動に
殺してやろうとナイフを手に
父の寝室に入った事も何度もあった
でもこんな人の為に自分のこれからの人生
棒に振るには勿体無さ過ぎると
その都度思い留まっていましたが

或る日父を病室に見舞いに行った夕方
病床に伏せる父の姿がやけ小さく思えて
「この人はもう僕が張り合う人じゃない」
「僕が守るべき人なんだ」
そう感じてしまった時
急に涙が溢れてきて
目をそらした病室の窓に
鮮やかな夕焼けが迫ってきていたのを
憶えています

悔しかったんです
あれだけ好き放題して
僕らを困らせた人が
最後は「守るべき人」
「良い人」として
逝くのかと思うと
今まで自分は何の為に
意地張っていたのだろうって

まぁ取り敢えずの退院後も
原因不明の病で
片目の視力を失い
ついで残った目の視力も失い
プライドの高い父は
自暴自棄になっていたのか
医者の言いつけも守らず
ろくで薬も飲みもせず
母の助けがなければ
生活もままならないクセに
何かと言うと
母に辛く当たっては困らせ
家の中で木刀を振り回し
暴れまわって家具などもボロボロ
ま~最後まで困らせてくれましたね(^^;
多分死にたかったんでしょうが
父を頼りに国を離れてやってきた
母が気の毒でした
どちらかと言うと母側についていた僕は
父にとっては何故自分を解ってくれないんだ
と言うもどかしさと腹立たしさが
あったのでしょうね
父を見ていて女を泣かせるような男にだけは
なりたくないと当時は強く思っていました
僕がもう当時もう少し人生経験がある人間だったら
正面切って張り合う事をせず
ちょっとは違った接し方が
できていたかも知れません
でも僕にも頼る人はいなかったんです

実は一番上に兄がいたのですが
赤ちゃんの頃に亡くなってしまい
父は飲めない酒を浴びるように飲んで
悲しんだいたと母から聞いた事があります
本当は子煩悩で優しい人なんでしょうが
赤ちゃん以外の「息子」との
接し方が解らなかったんだと思います

父を「そうとしか生きられなかった気の毒な人」
と思えるようになったのは
死後暫く経ってからでした
父は仲間を信じ連帯保証人になった挙句
その人物に逃げられたり多額の負債を抱えたり
海千山千の厳しい社会で生きていくには
きっと優しすぎたのでしょう
でもそのツケが全部
家族に降りかかってきて
父にとって家族って一体何なんだろ?
と疑問に思える程腹立たしかったり呆れたり
でも死んでしまえばそれも昔話
僕も少しはオトナになった
父が新でも不思議と後悔がなかったのは
父が死ぬ間際まで好き勝手に暴れてくれていたお陰と
何があっても僕自身が後悔しないようにと
その時の自分にできる限りの事をやったと言う
自負があったからだと思います

「自分の子供じゃない!」と言われた僕が
せっせと墓参りしたり
月命日毎にお寺さんに来て貰い
読経して貰ったりしているのですから
縁とは、家族とは不思議なものですね

でもねぇ
まだ情緒がしっかり
形成される前から
人にしろ動物にしろ
立て続けに失うものじゃないと
思います
お陰で僕の心の中には
埋めきれない何個かのピースが
いつも欠けたままになっています
Translation(自動翻訳) 横型エキサイト版
黒ねこ時計 くろック D04
プロフィール

まっとし

Author:まっとし
一応ゲイやってますが
ひとりの人として
日々感じる事をダラダラ書いてる
カナダ生まれのQuarterです
今は神戸に住んでいます
日本語OK
でも漢字は苦手(^^ゞ

2013年3月14日に
17年間一緒にいて
家族とも思っていた元野良猫の
「ニャンコ」を
腎不全からの尿毒症で
たった2日で呆気なく亡くし
ちょっと寂しいですが
お隣が捨てた半野良ネコの
「トラ美ちゃん」が
訪ねてきてくれるので
その世話で気分が紛れていますねぇ(=^・^=)

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などのSNSはやっていない為
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クリックできないのでご容赦下さい
<(_ _)>

22 Dec.2014 ブログ名変更

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